「みどりの香り」のメカニズムに迫る 山口大学 松井教授にインタビュー
今回は、山口大学の松井教授にインタビューしました。
松井教授は、植物たちが放つ香り、特に「みどりの香り」と呼ばれる成分に着目しています。
香りの研究を始めたきっかけ
テラリウム編集部:植物の香りについての研究をされるようになったきっかけを教えていただけますか?
松井教授:元々は植物栄養学などを研究していたんですが、みどりの香りの研究をされていた畑中顯和教授の研究室に所属することになったんです。畑中先生は宇治の緑茶の香り成分を研究されていて、そこからみどりの香りに注目していました。そのご縁で私も香りの研究を始めることになりました。
植物はなぜ香りを出すのか
テラリウム編集部:植物はなぜ香りの成分を生成するのでしょうか?
松井教授:植物にとって利益があるからですね。ほぼ全ての植物が香りを出すということは、何らかのメリットがあるはずです。例えば、花の香りは繁殖に大きく関わっています。植物は動けないので、遠くの個体と交配して遺伝的多様性を保つ必要があります。そこで虫に花粉を運んでもらうために、花を咲かせ香りで虫を誘引するようになったんです。
ただし、植物が意図的に虫を呼ぶために香りを作ったわけではありません。たまたま作った香りが虫を引き寄せるのに効果的だったという進化の結果なんですね。
また、「防衛」も重要な理由の一つです。虫が苦手な香りや毒性のある成分を出すことで、植物は自身を守っています。
植物は香りを聞き分ける?
テラリウム編集部:植物の香りを感知する方法を「嗅ぐ」ではなく「聞き分ける」と表現する由来は何でしょうか?
松井教授:植物には脳がないんです。でも、それぞれの細胞単位で感覚を持っていて、温度や光、水などを感知して情報を処理しています。小さな脳が全身に散らばっているようなイメージですね。植物には動物のような嗅覚はありませんが、刺激に対する応答はあります。匂いの区別はついているようなので、「聞き分ける」と表現しています。
人間も癒してくれる香り
テラリウム編集部:植物の香りは人間にとってどんな効能があるのでしょうか?
松井教授:例えば、みどりの香りには人間にリフレッシュ効果があることがわかっています。ストレスを感じている時にみどりの香りを感知すると、疲労軽減効果があるんです。
みどりの香りは新鮮な葉からのみ放出されます。この香りがするということは、植物があり、水も豊富にある豊かな環境だということ。そういう環境は人間にとって生存しやすく安心できるので、リラックスを感じるのではないでしょうか。これは生存本能的なものが刷り込まれているのかもしれません。
みどりの香り(Green Leaf Volatiles: GLV)とは?
テラリウム編集部:「みどりの香り」とはどんなものなのでしょうか?
松井教授:みどりの香りは、草刈りした時や葉をちぎった時に感じる青臭い香り成分です。病害虫を攻撃したり、捕食された際にその香りを拡散して周りの植物に警告を発したりします。また、害虫を捕食する他の虫を誘引する効果もあります。進化の過程では、陸上植物が現れた後、小葉類やシダ類の時代、つまり恐竜が生まれ始めた頃からみどりの香りを出し始めたと考えられています。
踏み潰されたりすると出てくる香りなので、恐竜が闊歩していた時代はあたり一面にみどりの香りがしていたのかな、なんて想像したりしますね。
攻撃された時に香りを出すメカニズムに迫る
テラリウム編集部:みどりの香りと生物的攻撃に対する植物の反応に関する研究内容を教えていただけますか?
松井教授:みどりの香りは無傷な植物の組織ではほとんど作られていません。捕食されたところから数秒で出てくるんです。壊された組織や細胞で、それまで光合成に使っていた油成分を酵素を使ってみどりの香りに変えて香りを放出します(バースト現象)。酵素は葉緑体の中に入っていて、特に若い葉に多いです。この仕組みや制御の解明に取り組んでいます。
香りには方言がある!?
テラリウム編集部:植物の香りには方言があるそうですね?
松井教授:そうなんです。虫に攻撃された個体が香りを出して周りに警告を発するんですが、この香りの「方言」は遺伝的に近い個体同士で伝わりやすいんです。これにより、近縁の個体を守ることができ、自分の遺伝子を残すチャンスが増えるわけです。
研究で苦労したこと
テラリウム編集部:今回の研究で一番苦労した点はどのようなことでしょうか?
松井教授:みどりの香りを生成する酵素の活性化メカニズムの解明に30年以上取り組んでいますが、まだ完璧な答えは出ていません。難しいのは、酵素を観察するには細胞を壊さないといけないこと。つまり、分析している時点で既に酵素が壊れた状態になってしまうんです。壊れる前の状態を壊さずに観察するのが非常に難しいんです。
今後の展望
テラリウム編集部:今後の研究の展望を教えていただけますか?
松井教授:酵素の活性化メカニズムの解明を続けていきます。また、植物同士のコミュニケーションにも興味があります。どのように香りを受容しているのか、そのシグナルがどう伝わっていくのかを明らかにしていきたいですね。
植物の香りを農業へ活用
テラリウム編集部:植物の香り成分は、農業にも活用することができるのですか?
松井教授:そうなんです。例えば、トマトに特定の香り物質を使うと高温耐性が高まることがわかってきました。これは夏場のハウス栽培時に植物が枯れにくくなるということで、とても有用です。
また、大豆畑の周りにあるセイタカアワダチソウを刈り取って袋に入れ、畑の中央に置いておくとダイズが強くなったという事例もあります。
これらの方法は従来の農薬に比べて環境への負荷が少ないんです。効果は農薬ほど強くはありませんが、植物をちょっとだけ強くしてくれる。環境や人体への影響を考慮する傾向が強まる中、将来的にはこういった香りを活用した農業手法が広まる可能性があると思います。
きのこの香り「マツタケオール」
テラリウム編集部:松井教授が現在進められている研究についてお伺い出来ますでしょうか?
松井教授:きのこの香り成分、特に「マツタケオール」に注目して研究を進めています。実は、ダイズもマツタケオールを生成することがわかっているんですが、ダイズがなぜこの成分を作るのか、またどのようにして作るのかはまだ解明されていません。そのため、この謎の解明に取り組んでいます。
また、ダイズにとってのみどりの香りはオフフレーバーなんです。この香りが強いと、豆腐や豆乳を作った時に美味しさが損なわれてしまう。そのため、現在の豆腐や豆乳製品は、みどりの香りを抑えた品種を使って作られているんですよ。
誰も知らなかったことを発見する喜び
テラリウム編集部:研究を通じて感じているやりがいや、研究意欲の原動力について教えていただけますでしょうか?
松井教授:そうですね、私にとって最大のやりがいは、誰も知らないことを知ることができる、ということです。新しい発見をした時の喜びは格別です。それが世界を驚かせるような大きな発見でなくても構いません。どんなに小さな新しい知見でも、それを見つけた時はとても嬉しいんです。
読者に向けてのメッセージ
テラリウム編集部:最後に、テラリウム読者に向けて一言お願いします。
松井教授:植物の出す香りに注目してみてください。花の香りを感じたり、葉をちぎって香りを嗅いでみたりすると、今まで気づかなかった香りを感じるようになりますよ。外を散歩していても、さまざまな香りが気になるようになるでしょう。ぜひ興味を持っていただけたらと思います。
お話を聞いた人のプロフィール
名前 | 松井 健二 |
職位 | 教授 |
所属組織 | 山口大学 大学院 創成科学研究科(農学) |